常識の検証について思うところ

毎年、夏休みになると子供の自由研究の手伝いに頭を悩ませる(た)親御さんも多いのではないでしょうか。実はわたくしも子供たちが全員小学生の頃は大変な思いで手伝ってやったことがありました。

私の在住する地区では、2学期が始まるころには自由研究の作品が展示されるのですが、地区で賞を取った子供たちの作品は、次に県の展示会に展示されます。
私も子供たちのおかげで何回か県の展示会に足を運ぶ機会に恵まれたのですが、研究のネタは尽きないなという印象をもって帰ってきます。
研究テーマの分野自体やり尽くされた感のあるものであっても、見方を変えて実験した結果、新たな知見が生まれ評価の対象とされています。
原則、子供がやる研究ですから、大人から見たら「常識」と思われているものであっても真面目に取り組んで、それなりの新たな結果を出しています。

ところで、常識とは経験から得られた知識であって、厳密に科学的な検証を経たものではないものも多いと思います。

特に分析技術などがそれほど発展していない時代にベテランの技術者らが経験で会得してきたものの多くは、技術常識として今日まで何の疑問や検証も経ずに、若手に伝承されていることがあります。また、その分野の大御所が発言した内容も然りです。

しかし、会社時代にその技術常識が正しいのかどうかを疑ってみた研究者の中には、常識を覆す新たな知見を得て優れた研究成果へ繋げた成功者らがいました。

そうした方々を見て思ったのは、探求心や好奇心が旺盛であっただけでなく、もう一つ大切なことをしていたと感じています。

それは、事前の調査(特許や学術文献)をしっかりとしていた事です。常識とは言われているが、調べ尽くしたがどこにも検証結果がない。故に、自分で試してみた。その結果、新たな結果に辿り着いていると感じています。
すなわち、常識を疑えるほどよく調べたが、これまで知られていないものは、自分で創る動機付けになっていると思います。

子供たちの自由研究を見ても同様に、我々の身の回りには、常識と思われているが検証されていないテーマが沢山埋もれています。事前調査もしっかりとすることで、進もうとしているテーマの方向性が新規に変わると思います。

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